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事実婚の私が令和の時代に願う事

私は、事実婚歴約11年になる者です。

 もともと、結婚しても、どちらかが改姓するのではなく、其々が従前の姓を維持したいと考えていました。第一に、私は生まれ育ってから親しんできた自分の姓名に非常に愛着があること。たまたまですが父がつけてくれた名と姓を合わせると姓名がとある日本の古典文学の作品名よく似ており、生まれてこの方、自身の名前には大変誇りを感じて参りました。亡き母が、幼稚園の頃から持ちものにひらがなで記名してくれた柔らかい字体も集団生活の中で心の拠り所でした。

更に、医療職に従事しておりますが、結婚生活を開始したタイミングで現在の職業生活を開始しており、改姓してしまえば戸籍名で登録する国家資格も新姓となり、自分の本来の名前での職業生活が送れなくなります。決して早い結婚とも言えず、最初の大学卒業後の進路も二転三転しておりますので、職業生活を新姓で開始すると、昔の友人や同級生に私が私として認識されないという恐怖にも似た不安がありました。

同時に、夫も同様に資格職に就いていることから、夫が改姓し通称使用することも現実的ではありませんでした。

 今なお、日本では婚姻時どちらかの姓に統一しなければならず、婚姻するにはどちらかが改姓をしなければなりません。したがって、私が「私の名前」で新生活を開始し、夫は「夫の名前」で生活を続けるにあたり、法的に一番妥当な判断が、婚姻届けを提出しない事実婚でした。

 事実婚では戸籍名と「私の本来の姓名」が同一ですので、日常生活の中で姓の使い分けによるストレスはありません。

 事実婚カップルが法律婚を一時的にせよ検討する一つのきっかけが、子の誕生かと思います。当方は2回出産しておりますが、一時的に法律婚をすることを選びました。事実婚で、夫が認知するという形で出産する方法もありますが、第1子出産の際には、嫡出児と非嫡出児の間の相続上の差別がまだありましたので、その子との間の格差が生じるのは、子の立場に立つと不利益が生じる可能性を考慮し、出産に際し、婚姻届けを提出しました。周囲の事実婚でお子様のおられる諸先達にアドバイスを請い、出産前や出産時に事故などで万が一夫や私が亡くなっても子どもが嫡出児となるよう、この時は出産前に余裕をもって早めに婚姻届を提出し一時的な改姓をしたため、出産後、入院先で自分の社会保険関係の改姓をしていないことを指摘され、一時的な改姓であるのに改姓手続きを要求され(もちろん医療機関としては正当な手続きではあるのですが)、産後にたいへんな精神的・身体的負担を感じました。こういう場面では旧姓使用など全く配慮が及んでいないことを痛感いたしました。この時の経験を活かし、入院中の医療機関でのトラブルを避けるため、第2子出産時には予め改姓せず、子の出生届と両親の婚姻届けを同時に提出し、推定嫡出で嫡出児とする方法を取りました。 真夏の灼熱地獄の中、産院から退院したその足で、生後間もない児を連れて家族4人で区役所に行き、数十分手続きに費やしたのは今もありありと覚えております。第2子誕生時には嫡出・非嫡出の間の相続上の差別はありませんでしたが、第1子が嫡出であり、実質的な意味合いは薄いとは思いながら、兄弟間での不公平をなくすために、この時も一時的に法律婚を選択したのです。

別姓が認められないことによる不都合としては、上記の法律婚に伴う諸手続きの手間に加え、日常の細々したことが色々あります。特に子供を持つ親としては、法律上、日本人同士のカップルでは選択的夫婦別姓が認められていないことから、私と子の間で姓が違うことで、同姓の親子同士であればほとんどチェックもされずに通る場面で親子関係について「名字が違いますが」と尋ねられてしまうことが挙げられます。具体的には、金融機関の口座の開設や住所変更は、親子が同姓だと割と簡単に手続できますが、親が別姓だと「戸籍謄本を提出しろ」と煩雑になります。もちろん、離婚し親権がないのに勝手に金融口座の管理をするような悪質なケースを想定してのことでしょうが、同姓でも親権がない場合はあり得るため、親権があっても別姓だと親子と認定されにくい現行の慣習は、例えば国際結婚が増加し国際結婚カップルの間に誕生する子が増加していたり、離再婚による血のつながりのない親子が家族として暮らすことが増えている現在、同姓=親子という考え方はあまりにもナイーブであり時代にそぐわないものです。また、手続きに関しては、事実婚であることをある程度公的に示そうとすると、住民票の夫/妻(未届)の記載ですが、法律婚から事実婚に移行する際、窓口で「離婚するのにどうして続柄を妻(未届)にするのか、相手が嫌で別れるのではないのか」と理解してもらえず、複数職員とのやり取りの挙句、「職業上使用している戸籍名保持のために書式上離婚するだけであり、実態の夫婦生活は変わりません」等、一筆理由を記載せねばならないことが挙げられます。

2015年の夫婦同姓を合憲とした最高裁の判決文は、現時点ではまだ人権侵害という段階に至っていないという言い方を繰り返します。確かに夫婦別姓を願うのは国民全体ではないものの、それが実現されないために私たちのように日々苦痛を味わう人々が現に存在します。個人の人権の一つである姓名の一部である姓を、婚姻に伴い強制的に改姓するのは立派に大きな人権侵害といえますし、晩婚化や離婚率の上昇、結婚改姓後も勤務等社会生活を継続する人々の割合の上昇などを考慮すると、個人の継続的な特定が難しくなる結婚改姓というシステムは、社会にとって大きな損失であると同時に、社会的な側面でも、改姓する側に婚姻形態の変化を望まずして周知してしまうプライバシー侵害として大きな人権侵害を強いているのではないでしょうか。本来ならば幸せなできごとである結婚(法律婚)が、一方の個人の尊厳を侵すのです。そのために結婚話が壊れたり、別姓保持のために意に反して離婚届を出したり、やむなく事実婚状態で選択的別姓法案が通るのを待っているカップルがたくさんいたりすることを政府は考慮してほしいと考えます。

別姓での生活は、上記のような諸手続き面を除けば、何の不便もなく、周囲に少し説明するだけで済みます。国際結婚、ひとり親家庭、再婚家庭、更に高齢になってからの再婚が増えた現代では、夫婦の姓が異なる家庭も珍しくありません。「夫婦別姓」ではなく、単なる「姓維持婚」である、というように発想を転換すればよいと思います。

11月22日は、「いい夫婦の日」です。2017年の「いい夫婦の日」には婚姻届けを提出するカップルが普段の4倍ほどになるとNHKの地方放送局のニュースで報道していました。その際にインタビューを受けた方々の中で、一人の女性が、「昨日まで名字が変わるのが寂しくて泣いていた」と語っていました。日本人同士で婚姻届けを提出すると、その夫婦のどちらかは強制的に改姓、それまでの氏名を法的に維持できないという現状、結婚という慶事とはいえ、片方が「泣くこともある」、 そんな「いい夫婦の日」はとてもいびつです。

1979年の国際児童年に際し、日本の音楽グループ、ゴダイゴが協賛歌として歌った「ビューティフルネーム」には繰り返しこのような歌詞が出てきます。

「名前 それは 燃える 生命

 ひとつの地球に ひとりずつ ひとつ」

子どもの人権を名前という命に喩えて称えている歌詞だと解釈していますが、大人の人権も、ひとりずつひとつ、その名前に命として宿っているのではないでしょうか。この歌を聴き、歌いながら、選択的夫婦別姓制度に思いをはせております。そして、婚姻後も氏の維持が法的に認められるように、どちらかが泣く「いい夫婦の日の婚姻届け提出」、もうすぐ終わる2018年もそんないい夫婦の日でした。どちらかが改姓となって泣いたり、改姓手続きの手間暇(時間だけでなくてコストも)がかかるようないい夫婦の日は、令和の御代にこそ、もう終わりにしたいと切に願います。

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