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私は40代男性です。
先日結婚し、私が妻の姓へ改姓しました。
当初は妻が変えると言っていたのですが、仕事上、改姓手続きが比較にならない程多く、また仕事で旧姓を使う際の制約が多かったため、私の方を変えることにしました。
私自身、結婚するなら相手と同姓になりたい、という気持ちがあったため、自分自身の改姓には余り抵抗はありませんでした。

改姓手続きはとても大変だと聞いてはおりましたので、覚悟して挑みましたが、
想像以上に難儀なものもありました。
特に、海外の証券会社の口座の改姓手続きは、調べても殆ど情報が無く、担当者と英文メールでのやり取りを繰り返して行いました。

海外証券口座の姓変更は、以下の様な手続きです。

■期間
開始:2019/9/6
完了:2019/9/25

■用意した書類
・パスポートコピー(この手続きの時は新姓に変更手続きが必要)
・戸籍謄本(原本)
・英訳戸籍謄本(自分で英文で作成)
・英訳委任状(自分で英文で作成)
・Form W8-BEN(米国政府に提出、英文で作成)
・証券会社の名義変更依頼書(英文で作成)

■手続き
1. パスポートコピーを送付
2. Form W8-BENを作成、送付
3. 委任状、戸籍謄本(原本)、英訳戸籍謄本を英文で作成、送付
4. 証券会社の名義変更依頼書を英文で作成、送付

■面倒なこと
・姓が変わったことを証明する書類(裁判所が許可した証明書)を提出する必要がある。(質問すると戸籍謄本でOKだった)
・ただし、戸籍謄本を自分で公文書英文で訳する必要がある。国によってはプロに翻訳証明を付けてもらう必要がある。
・委任状、証券会社の書類も全て英文で記載する必要がある。
・メールのやり取りでは、細かいニュアンスが伝わりにくく、何度もやり取りする手間がある。

英訳戸籍謄本は、Web上に書き方が豊富にあり、自分で調べて作成しました。
ただし、住所の書き方や翻訳の正式文体があるため、注意が必要です。

外国人証明書(Form W8-BEN)は、証券会社のWebサイトなどで入手します。
ただし、自署サインが必要となるため、いったん紙へ印刷、サイン、スキャナで電子化して提出と手間が掛かります。
(英訳戸籍、委任状、手続き書類も同じ。)

幸いにも仕事を休んだ日はなく、平日の夜に全て対応できました。書類作成等は約4時間ほどですが、メールのやり取りを含めると10時間程度は掛かっています。
アメリカの証券会社の口座の改姓に挑んだのは、お金を引き出す際に小切手振り出しとなり、姓名が合っていないと取り立てが出来ない可能性があると聞いたためです。

なお、アメリカだったため、戸籍謄本は自己翻訳したものでOKでしたが、他の国では「プロが翻訳して翻訳証明をつけたもの」以外は受け取らなかったり、
アポスティーユ(外務省の認証)や公印認証&領事館認証が必要、と定めている国もあります。この場合はもっと大変ですし、お金も掛かります。

一連の改姓手続きはなかなか骨の折れるものとなりました。
私は望んで改姓したため、多少の苦労は厭いませんでしたが、改姓を義務として押し付けられた方にとっては、非常に苦難の手続きであろうと感じます。
資格やお金の絡んだ手続きは、提出書類も厳格に定められている上、本人確認を確実にするために手続きも時間が掛かります。

「改姓手続きの大変さを乗り越えて結婚の覚悟が生まれるのだ」
と、選択的夫婦別姓に反対している方のコメントを見聞きしましたが、選択的夫婦別姓に反対でも賛成でもない私ですら、心から呆れました。
婚姻したいと願う気持ちと、改姓手続きの面倒臭さは全くの別物です。

この文章を寄せている段階でも、まだ改姓手続きが済んでいないものが幾つかあります。
改姓一つで、どれだけの時間と経費、税金が無駄に費やされているのか…これらの無駄をしっかり検証して、もっと簡便に変えられる仕組みを作るなりして欲しいですね。


私は40代女性です。
長女が2歳の時に離婚。娘はまだ名字の事は理解出来ない年齢であり、B姓からA姓に複氏し、娘もA姓に改姓しました。
長女が12歳の時再婚する事になり、私は女性が男性の姓に改姓するのが当たり前とC姓に改姓。
娘は自分まで改姓する事を嫌がりましたがC家の意向もあり、長女に言い聞かせ長女もA姓からC姓に改姓しました。
C家は長男が絶対的権力を持つ家と聞いていましたが、夫は次男。安心して結婚しましたが、長男は仕事で家族でアメリカに行っており
「長男不在の場合は次男が長男の役割を果たす」
事になっているのを知ったのは結婚した後の事でした。
Cの両親は近所住まいの別居ですが夫が
「親二人で寂しかろう」
一週間に一度は両親を食事に呼び、度々来訪しては手伝いも後片付けもせず、礼ひとつ言わず、悪阻であろうが臨月であろうがお構いなしに自分の家のように来られる夫両親に食事を振る舞うのは12歳の長女の勉強を見てやりながらフルタイムで働き残業もこなしていた私にとっては難行でした。
義兄夫婦も義両親も夫も「お前はC家の人間になったのだから」
当然の事と言い、疲れから何度も体調を崩しました。
しかし、義父母は長男夫婦から連絡が来たり物が届いたりすると必ず礼を言うのです。
「C家の長男」「長男の役割を果たす次男」
こうも差がつくのかと愕然としました。
出産の時も「C家の孫が生まれるのだから」
陣痛室にまで義父母が入ってき、毎日朝から晩まで病院に来る義父母。
「C家の孫の育児方法はこうでああで・・・」
退院後も毎日家に来られ3時間おきの授乳の時、皆の前で胸を開けさせられたり、授乳の合間に休むことも出来ず、3食夫両親の食事作りは私。
たまらず育児休暇を早めに切り上げ仕事復帰しました。
すると今度は「俺は体調が悪い」「私入院するかも」
すぐに早退する様に職場に電話が入るようになり、
急いで行けば私だけしか呼んでいないのです。
「○○さん(夫)に連絡は?」

「だってあの子には仕事があるからね」「あんたはC家の嫁だからね」
C家にとっては私の仕事は仕事ではなかったのです。
生後半年の子供を抱え、仕事、保育園、病院、義父母の家と何年も一人で走り回り、倒れ込む私に、夫も、知らせた義兄夫婦も何の反応もありませんでした。
「C家の嫁」
当たり前の様に扱われ続け。
私の地域では結納も結婚式もかなり派手です。それを思うと躊躇いもありましたが、
16歳、4歳、1歳の子供を抱えて離婚するしかないと決め、
「C家の人間」
から逃げるためには又A姓に複氏するしかなく、子供もC姓のままだと「C家の人間」
と扱われるのは分かっていたため、三人とも私の旧姓A姓に改姓させました。
特に親の離婚や再婚で何度も改姓させる長女は不憫でしたが、「C家の人間」
として生きさせるよりは、と長女に何度も言い聞かせ、又姓を変えました。

数ヶ月後。
離婚した夫が「復縁したい。もう一度やり直したい」
しかし又C姓に改姓したら同じことの繰り返しになるのは分かり切っていました。
夫に「今の私と子供の姓のA姓で婚姻届を出してほしい」
夫は
「おれはC家を捨てることになるのか」
改姓とは、夫には「家に入り」「家を捨てる」
認識なのかと悟りました。

その後、家族全員私のA姓になり、
家族5人仲良く暮らし数年。
義父母や義兄夫婦からあれだけかかってきていた電話がピッタリやみ、年賀状すら来なくなりました。
夫と復縁した後Cの両親は「あの家族はこの家を捨てて出ていった」
と言っていると聞いたのが最後です。
改姓の恐ろしさを知った結婚生活でした。

もし、Cと結婚する時に選択的夫婦別姓制度があれば、長女の改姓を避けるため迷わず別姓にしたと思います。
その制度がないばかりに苦しんだり子供に何度も改姓を強いた事を本当に申し訳なく思いながら。
今の生活を大切にして行こうと思っています。

97%近くの女性が婚姻時に改姓している今。

大切なご先祖様が何代にもわたって大切に子孫である私に引き継いできた姓。

それが女の子ばかりの兄弟だと、婚姻時に相手に改姓してもらいたくても難しく、仕方なく改姓し、大切な先祖が引き継いだ姓を絶やしてしまいました。

よく「家名を絶やすって何?」「よく生まれた子供を祖父母と養子縁組しているじゃない。それじゃダメなの?」

よく聞かれますが。

子供を養子にした場合、実の親はその子に対する親権を失います。

養子縁組には養親の介護義務、扶養義務、相続権があるので周りの親族の理解が得られないと難しいのです。

子供が生まれてもその時継がせない姓の人(大抵は子供にとって祖父母)が生きているとは限らず、亡くなって除籍になっていれば姓を継がせるのが不可能です。

家名継承?今、制度も無くなったのに何を継ぐの?

と言われる方に聞いていただきたいです。

想像してください。

宝石でもいい。掛け軸でも、骨董品でも、土地でも。

あなたの大切な祖父母や両親が

「これはお前のおじいちゃん、おばあちゃん、そのまたおじいちゃんおばあちゃんが代々うちの家宝として大切にしてきたんだ。お前に渡すから大切にしてくれよ」

それを法律が

「結婚するのだったらそれは捨ててください」

となったらどう思われますか?

姓を継承で苦しむ人は、現在結婚する時それを否応なく捨てさせられているのです。

「選択的夫婦別姓制度」があれば。

それは捨てなくていいのです。

夫婦別姓を選択したら墓はどうなるのか?

先祖供養はどうなるのか?様々な疑問が聞かれます。

当会の会員があるお寺のご住職様に様々なことを教えて頂きに行ってまいりました

会員「こんにちは。NPO法人関西選択的夫婦別姓の実現を願う会から参りました。本日はどうぞよろしくお願いします」

ご住職「こちらこそどうぞよろしくお願いします」

会員「まずお聞きしたいのは、今も様々な形で夫婦、親子別姓の家庭があり、選択的夫婦別姓が法制化されたらもっとそのような家庭が増えるかと思います。その場合は〇〇家の墓、と書かれた墓には夫婦や家族で入れないのでしょうか?」

ご住職「墓石に〇〇家と記載されていているので違う名字の人が入れないという決まりはありません。ただ施主の意向によるでしょう。だめだと言われれば仕方ないですし・・・こちらとしてはそこは納得の行くまで話をして決めてくださいというしかないです。

先日檀家さんから「別れた元妻が死んだ際にはお墓に入れたいけど構わないか?と聞かれました。みなが納得しているのなら良いんじゃないですか?と答えました。○○の墓と書いていたらその名字の人しか入れないとは保守的ですよね・・・○○家の墓というのは明治以降の墓ですよ。その前は個人墓でした。」

会員「親が別姓だと親子別姓となり、先祖からつながる縦の線が遮断されると言われていますが?又、親が別姓で子供も別姓だと兄弟で別々の先祖を供養することになり、宗派も家族で異なり、家族がバラバラになると言われていますが?」

ご住職「先ず宗派と先祖供養を別に考えなければなりません。信仰の対象は特定の宗派の教え(宗旨)になります。また先祖供養は宗派、宗旨にとらわれることなく行われています。日本の法律では信仰は自由なのです。なので夫婦で異なる宗派、宗旨であっても良いのです。夫婦同姓であろうと別姓であろうと関係ありません。異なる場合は一軒に2つの仏壇があっても問題ありません」

会員「一つの家に違う宗派の仏壇があったりお札があったりしたら仏様同士喧嘩し、家から出ていくという人もいらっしゃるのですが・・・」

ご住職「まず仏さん同士は喧嘩もしませんし、出ていくこともないのですよ。先祖供養に関してですが、元々仏教には先祖供養というものはありませんでした。

中国の道教、儒教の影響を受け伝わっています。家系を重視するのは、これらの教えから今に至っているのでしょう。拙僧、儒教や道教の専門ではないのではっきりしたことは申し上げられませんが・・・はっきり言えることは、親が別姓であっても先祖からの繋がりは遮断されることは全くもってありません。

父方も母方も子供にとっては両方大切な先祖です。両方供養するのが当然と言えば当然で、心からの報恩感謝の気持ちを表すことが肝要です。それが追善供養となります。

信仰が異なっても別に存在するのが先祖供養です。

我が国においては信仰対象や先祖供養は嫁ぎ先の宗派を信仰し、しきたりに倣って行うというのが一般的かもしれませんが、別姓が理由で家族がバラバラになるとは考えにくいし、あってはならないと考えています。」

会員「では結婚し、改姓しても夫婦で異なる宗派の仏壇を祀ることはしてもいいのですが?」

ご住職「そもそも、法律では宗教、勿論宗派に関しても信仰の自由が認められ、極端な話、仏教とキリスト教で夫婦で異なる宗派もあります。

大切なのは親や先祖を祀ることは尊い事ですので、夫婦で宗派が異なる仏壇2つもありだと思います。」

会員「今でも子供は男の子を生むように。でないと墓が絶える。あら、女の子ばかりなの?お墓が絶えるわね。墓じまいしないと、等ということはよくあります。女の子ばかりだと、子供の誰かに結婚する時に男性に改姓してもらわないとお墓が守れない。絶えるとよく言われます。そのあたりはどうなのでしょうか?」

ご住職「例え姓が変わってもお墓には大切な親がおり、祖父母、ご先祖様が眠っておられる事に変わりはありません。改葬、墓じまいする前に考えていただきたいです。

それに苗字が違っても墓守、施主となれますし、うちの檀家さんでもそのような例が多々あります。

仏壇も同じです。現にうちの仏壇はA姓である母がB姓の実の母が祀られている仏壇とC姓の叔母の位牌が安置されており、毎朝拝んでおります。一軒の家で仏壇2つで3家祀っています。宗派が同じというのもありますが。」

子供は生みたくても出来ない。経済的事情で作らない。様々な選択肢があります。結婚しない方も多いです。様々な選択肢、多様性のある現代です。

そのようなしがらみが嫌な方は最近永代供養塔の共同墓や個人の永代供養墓に入られる傾向にあります」

会員「そうなんですね。本日は中々知ることの出来ない事を丁寧に教えていただき、ありがとうございました。世間が勝手に作ったしきたりなどがいかに多いか勉強になりました。ありがとうございました。」

不規則勤務のため毎朝欠かさず見ている朝の連続テレビ小説「なつぞら」。戦争で両親を失い、兄と妹と別々となり、自らは、親の戦友に引き取られて、北の大地で、酪農業を学びながらもやがて、アニメーションとの出会いで、その道に突き進む主人公奥原なつの生き方を通じて、いつも感動の涙を流しているだけでなく、思いがけない発見もしている。
 別姓の問題でいうなら、ドラマの中で、姓が別であっても家族としての繋がりさえしっかりしていれば、同居していても差し支えないという印象を受けた。
 あの当時としては、まだまだ偏見が強い時代ではあったけど、制作する側からの意図として、今の時代に照らし合わせたストーリー性そのものが、多様な社会で形成されているという実感が、ドラマを見ていてそう湧いてきたのだ。
 とにかく一つになることが、決して悪いとは言わないが、違和感を抱えたまま、自分の姓を変える変えないではなく、互いに納得しながら歩める社会にしていくには、価値観の違いを大事にしながら、新しい未来を築いて、後世へ繋げていくことではないかと考えられる。
別姓には、身近なところから考えられるケースは、これからもたくさん出てくるはずだ。それに応えることができるようにいくつもの選択肢が持てる多様な考えがあり、それを育てることだけでなく、認めあえる社会こそが大きな下支えとなって行けると確信している。姓氏に縛りつけてきた社会には、ある意味不平等な構造を生み出してきた経緯があリ、実はそれが不幸を招く結果となる。
「あそこん家とは親戚でもなく、赤の他人で関係がないのに頼られて来て困る」と、同じ地域に住む同姓の集まりの会合で、受けた仕打ちを経験してきたため、同姓であることが、決して幸せではないことを身に持って経験してきた。だからこそ、周辺との関係もさることながら、違いもあったりしながら、構成される社会へと、時代は変遷してきている。固定観念で縛り付ける時代は、終わりに来ているように思う。

私は、事実婚歴約11年になる者です。

 もともと、結婚しても、どちらかが改姓するのではなく、其々が従前の姓を維持したいと考えていました。第一に、私は生まれ育ってから親しんできた自分の姓名に非常に愛着があること。たまたまですが父がつけてくれた名と姓を合わせると姓名がとある日本の古典文学の作品名よく似ており、生まれてこの方、自身の名前には大変誇りを感じて参りました。亡き母が、幼稚園の頃から持ちものにひらがなで記名してくれた柔らかい字体も集団生活の中で心の拠り所でした。

更に、医療職に従事しておりますが、結婚生活を開始したタイミングで現在の職業生活を開始しており、改姓してしまえば戸籍名で登録する国家資格も新姓となり、自分の本来の名前での職業生活が送れなくなります。決して早い結婚とも言えず、最初の大学卒業後の進路も二転三転しておりますので、職業生活を新姓で開始すると、昔の友人や同級生に私が私として認識されないという恐怖にも似た不安がありました。

同時に、夫も同様に資格職に就いていることから、夫が改姓し通称使用することも現実的ではありませんでした。

 今なお、日本では婚姻時どちらかの姓に統一しなければならず、婚姻するにはどちらかが改姓をしなければなりません。したがって、私が「私の名前」で新生活を開始し、夫は「夫の名前」で生活を続けるにあたり、法的に一番妥当な判断が、婚姻届けを提出しない事実婚でした。

 事実婚では戸籍名と「私の本来の姓名」が同一ですので、日常生活の中で姓の使い分けによるストレスはありません。

 事実婚カップルが法律婚を一時的にせよ検討する一つのきっかけが、子の誕生かと思います。当方は2回出産しておりますが、一時的に法律婚をすることを選びました。事実婚で、夫が認知するという形で出産する方法もありますが、第1子出産の際には、嫡出児と非嫡出児の間の相続上の差別がまだありましたので、その子との間の格差が生じるのは、子の立場に立つと不利益が生じる可能性を考慮し、出産に際し、婚姻届けを提出しました。周囲の事実婚でお子様のおられる諸先達にアドバイスを請い、出産前や出産時に事故などで万が一夫や私が亡くなっても子どもが嫡出児となるよう、この時は出産前に余裕をもって早めに婚姻届を提出し一時的な改姓をしたため、出産後、入院先で自分の社会保険関係の改姓をしていないことを指摘され、一時的な改姓であるのに改姓手続きを要求され(もちろん医療機関としては正当な手続きではあるのですが)、産後にたいへんな精神的・身体的負担を感じました。こういう場面では旧姓使用など全く配慮が及んでいないことを痛感いたしました。この時の経験を活かし、入院中の医療機関でのトラブルを避けるため、第2子出産時には予め改姓せず、子の出生届と両親の婚姻届けを同時に提出し、推定嫡出で嫡出児とする方法を取りました。 真夏の灼熱地獄の中、産院から退院したその足で、生後間もない児を連れて家族4人で区役所に行き、数十分手続きに費やしたのは今もありありと覚えております。第2子誕生時には嫡出・非嫡出の間の相続上の差別はありませんでしたが、第1子が嫡出であり、実質的な意味合いは薄いとは思いながら、兄弟間での不公平をなくすために、この時も一時的に法律婚を選択したのです。

別姓が認められないことによる不都合としては、上記の法律婚に伴う諸手続きの手間に加え、日常の細々したことが色々あります。特に子供を持つ親としては、法律上、日本人同士のカップルでは選択的夫婦別姓が認められていないことから、私と子の間で姓が違うことで、同姓の親子同士であればほとんどチェックもされずに通る場面で親子関係について「名字が違いますが」と尋ねられてしまうことが挙げられます。具体的には、金融機関の口座の開設や住所変更は、親子が同姓だと割と簡単に手続できますが、親が別姓だと「戸籍謄本を提出しろ」と煩雑になります。もちろん、離婚し親権がないのに勝手に金融口座の管理をするような悪質なケースを想定してのことでしょうが、同姓でも親権がない場合はあり得るため、親権があっても別姓だと親子と認定されにくい現行の慣習は、例えば国際結婚が増加し国際結婚カップルの間に誕生する子が増加していたり、離再婚による血のつながりのない親子が家族として暮らすことが増えている現在、同姓=親子という考え方はあまりにもナイーブであり時代にそぐわないものです。また、手続きに関しては、事実婚であることをある程度公的に示そうとすると、住民票の夫/妻(未届)の記載ですが、法律婚から事実婚に移行する際、窓口で「離婚するのにどうして続柄を妻(未届)にするのか、相手が嫌で別れるのではないのか」と理解してもらえず、複数職員とのやり取りの挙句、「職業上使用している戸籍名保持のために書式上離婚するだけであり、実態の夫婦生活は変わりません」等、一筆理由を記載せねばならないことが挙げられます。

2015年の夫婦同姓を合憲とした最高裁の判決文は、現時点ではまだ人権侵害という段階に至っていないという言い方を繰り返します。確かに夫婦別姓を願うのは国民全体ではないものの、それが実現されないために私たちのように日々苦痛を味わう人々が現に存在します。個人の人権の一つである姓名の一部である姓を、婚姻に伴い強制的に改姓するのは立派に大きな人権侵害といえますし、晩婚化や離婚率の上昇、結婚改姓後も勤務等社会生活を継続する人々の割合の上昇などを考慮すると、個人の継続的な特定が難しくなる結婚改姓というシステムは、社会にとって大きな損失であると同時に、社会的な側面でも、改姓する側に婚姻形態の変化を望まずして周知してしまうプライバシー侵害として大きな人権侵害を強いているのではないでしょうか。本来ならば幸せなできごとである結婚(法律婚)が、一方の個人の尊厳を侵すのです。そのために結婚話が壊れたり、別姓保持のために意に反して離婚届を出したり、やむなく事実婚状態で選択的別姓法案が通るのを待っているカップルがたくさんいたりすることを政府は考慮してほしいと考えます。

別姓での生活は、上記のような諸手続き面を除けば、何の不便もなく、周囲に少し説明するだけで済みます。国際結婚、ひとり親家庭、再婚家庭、更に高齢になってからの再婚が増えた現代では、夫婦の姓が異なる家庭も珍しくありません。「夫婦別姓」ではなく、単なる「姓維持婚」である、というように発想を転換すればよいと思います。

11月22日は、「いい夫婦の日」です。2017年の「いい夫婦の日」には婚姻届けを提出するカップルが普段の4倍ほどになるとNHKの地方放送局のニュースで報道していました。その際にインタビューを受けた方々の中で、一人の女性が、「昨日まで名字が変わるのが寂しくて泣いていた」と語っていました。日本人同士で婚姻届けを提出すると、その夫婦のどちらかは強制的に改姓、それまでの氏名を法的に維持できないという現状、結婚という慶事とはいえ、片方が「泣くこともある」、 そんな「いい夫婦の日」はとてもいびつです。

1979年の国際児童年に際し、日本の音楽グループ、ゴダイゴが協賛歌として歌った「ビューティフルネーム」には繰り返しこのような歌詞が出てきます。

「名前 それは 燃える 生命

 ひとつの地球に ひとりずつ ひとつ」

子どもの人権を名前という命に喩えて称えている歌詞だと解釈していますが、大人の人権も、ひとりずつひとつ、その名前に命として宿っているのではないでしょうか。この歌を聴き、歌いながら、選択的夫婦別姓制度に思いをはせております。そして、婚姻後も氏の維持が法的に認められるように、どちらかが泣く「いい夫婦の日の婚姻届け提出」、もうすぐ終わる2018年もそんないい夫婦の日でした。どちらかが改姓となって泣いたり、改姓手続きの手間暇(時間だけでなくてコストも)がかかるようないい夫婦の日は、令和の御代にこそ、もう終わりにしたいと切に願います。

姓が違う子を持つ事実婚の父が語る

・一見平等そうな法は不平等の根源

世界でも日本にしか残っていない婚姻時の強制的夫婦同姓制は、夫婦のうち姓の変更を強いられる側には大きな負担です。運転免許証・パスポート・銀行口座等の名義変更はもちろん、戸籍名でないと容認されない国家資格などがあり、本来姓を通称として使用できる場面は極めて限られています。本来性での実績と新戸籍名がすぐにリンクされないことから、名前をビジネスや学術活動と看板として活用している現代人にとって、強制改姓による不都合や負担は枚挙に暇がありません。そのため私は、改姓によって自分がそのような目に遭うのは嫌でした。一方で、自分が嫌なことを妻に強いるのは、私の道徳観が許しません。そこで法律婚を断念して事実婚を続けています。ここで詳細は述べませんが、法律で明文化された事実婚というものは存在しないので、法的に保証される夫婦の地位は極めて脆弱であり、事実上の同棲に過ぎません。そのため仕方なく法律婚を選ぶカップルも多いのですが、改姓によって被る現実的な不利益のため、結婚を先延ばししたり、諦めたりする人もいます。少子高齢化により国の将来が不安視されているにもかかわらず、強制的夫婦同姓制に拘泥して若者の結婚を妨げる国の姿勢に、正当性はあるのでしょうか?また、現行制度のもと、姓を変えるのは96%が妻の側。民法750条では「いずれかの姓を名乗る」とされ、夫が改姓することも可能ですが、現実は女性がほぼ一方的に改姓を強いられます。これは憲法第14条が定める〝法の下の平等〟の理念に反します。選択的夫婦別姓制度の一日も早い法制化が望まれます。

・事実婚夫婦と子どもの姓

事実婚の私と妻は、戸籍上では〝他人〟です。私と妻との間に子供ができれば、それは妻の子(いわゆる非嫡出子)となり、夫である私は、実の子を認知することになります。もし、子と私の姓とを同一にしたい場合は、私と子が養子縁組することになりますが、その場合は、妻と子の姓は異なることになります。いずれにしろ、生物学上の親子という揺るぎない関係が、書類上の手続きで、法的に左右されてしまうわけです。選択的夫婦別姓が法制化されれば、血縁関係にそぐわない、このような戸籍上の〝妙な関係〟は解消されることになります。

ただし、選択的夫婦別姓が認められた後の別姓法律婚夫婦でも、現在の事実婚でも、子の姓が両親の一方と異なる事態が生じるのは同じです。これは、多くの人にとって気になるところのようで、選択的夫婦別姓を巡る議論ではしばしば問題視されます。1996年に法務省が作成した民法改正案でもこの点に留意しており、別姓を選択する夫婦の子の姓については「夫又は妻の氏を子が称する氏として定めなければならないものとする。」(改正案第3項の2)とされています。ところが、法が規定するものであっても、「親子で姓が異なることで、〝家族の一体感〟や〝絆〟は保てるのか?」「姓の違う子はいじめられるのではないか?」という疑念が巻き起こるようです。拙稿は、私や家族の体験を通し、まさにこの問題に対して回答するものです。

・「別姓婚家庭で〝家族の一体感〟は保てるのか?」

では、逆に私から訊いてみましょう。

「〝家族の一体感〟とは、姓が同じであればできるものなのですか?」

「そもそも家族の一体感とは何ですか?」

あなたは、観念論や理想論ではなく、現実的な答えができますか?

実際、姓が違うことで違和感がある、ということはありません。普段、夫婦で向き合ったとき、互いの姓を意識しますか?会話するとき、触れあうとき、姓を確認しますか?そんなことはない、と思います。もし姓が同一であることをいちいち確認しない保てない関係性ならば、それはかえって危ういのではないでしょうか?それならばむしろ、姓が同一であることを楔として、相手を束縛することを正当化する関係性だとは言えないでしょうか?

現在、結婚するカップル数に対して3分の1もの夫婦が離婚しています。私はここで、離婚したカップルは婚姻関係にあった際には100%同姓だったことを強調したいです。この事実だけでも、姓の同一性と絆の強さとは、全く無関係であることがお分かりですね。また、結婚改姓した人は、無条件で婚家と絆が生じる一方で、実家との絆がその瞬間に断たれるのでしょうか?そんなおかしなことは決してありませんよね。

・私と姓の違う子の〝育ち方〟

子が成長して保育園に行くようになると、連絡先として私および妻の名を、園に登録することになります。小学校以降に進学する際も同じです。妻も私もフルタイムで働いており、送迎は2名が交代で行いましたので、子と同姓の妻だけでなく、別姓の私も、保護者名を保育園や学校に知らせました。子の進学により、他の保護者との接点もできます。誰も敢えて口にはしませんが、いろんな人が、別姓の私の家族に関し様々な〝憶測〟を巡らせることは想像がつきました。そこで積極的に、私たちの姿を見ていただくことにしました。子は夫婦2人の実子であること、別姓事実婚をしていること、そして何よりも、〝普通の家族〟であることを周囲に見てもらい、理解していただくように努めたのです。それが奏功したのかどうか、今となっては分かりませんが、子は特段色眼鏡で見られたり、いじめられたりしたことはないまま成人しました。むしろニコニコしながら、「よそのおうちは、どうしてお母さんとお父さんの名字が一緒なの?」と無邪気に質問されました。産まれた時から私と妻の姓が違えば、子は「ああ、そんなものか」としか思えないのです。別姓の私が、ある日突然出現したわけではなく、オムツを替えミルクを与え、普通の父として振る舞っていたに過ぎないので、子にとっては違和感を覚える理由などないのです。ここで、皆さんが幼かった頃、友達の両親のことをどのように呼んでいたか、思い出していただきたいと思います。「Aくんのお母さん」「Bちゃんのお父さん」が普通。その姓がどうか、気にする理由などないのではありませんか?

「いじめられる」という発想は、自身が抱く蔑視感情の表れ

別姓婚夫婦は、2人とも姓を変えないこと以外は〝普通〟の夫婦に過ぎません。しかし冒頭でも触れたように、選択的夫婦別姓の実現を求めてSNSなどで情報発信すると、否定的な意見が多く出ます。特に多いのが「姓の違う子はいじめられる」というものです。上述したように、そんなことは全くないのですが、どうしてこのような声が根強いのでしょうか?その理由は、不倫・妾腹による婚外子や離婚など「特別な事情」で親と別姓の子ができた、という偏見によるものだと推察します。実際、「別姓婚とは、道ならぬ恋で結婚できなかったカップルに、法律婚と同等の権限を与えるもの」と勘違いしている人すらいます。〝普通〟の家庭でないことに蔑視感情を持つこと自体が許されないのは言うまでもありませんが、日本はつい最近まで、例えば非嫡出子が相続する遺産を、嫡出子より低く抑えるような差別が合法的に行われていたような国だったのです。人々の偏見が、不公平な法律を近年まで残存させていた、とも考えられるでしょう。私は、「親と別姓の子供はいじめられるからかわいそう」と主張する人たちに対して、次のように申し上げたいと思います。「〝かわいそう〟とは、自身が抱く親と別姓の子に対する差別感情を当事者の責任に転嫁しておきながら、哀れな存在に憐憫を垂れる優しい自分を演出しているだけです。それは卑劣ではないのでしょうか?いじめられるのがかわいそう、と思うなら、いじめる方を批判するのが正しい態度ではないでしょうか?」と。その一方で、かわいそう、と思う自らの心底に潜む蔑視感情と真摯に向き合い改めて欲しい、そう心から願います。c


皆様こんにちは。

今全国で広まっている

「各自治体から選択的夫婦別姓可決の要請を国会に出してもらう」

動きがあります。

自治体の議会に要請するには

「陳情」「嘆願」「決議案」

三つの方法があり、

自治体に出したはいいが、議会の決議で落とされますと

法改正が遠のきます。

ですので、各自治体に

一番効力の高い「決議案」「意見書」

を出していただきたく宜しくお願いします。

・すでにたくさんの自治体がすでに選択的夫婦別姓の意見書をすでに出しており、

国会に要請をかけるようになっています

これが増えると国会は動かざるを得ません。

昔ですが、反対に選択的夫婦別姓可決反対の意見書を出した自治体もあります。

ですので可能な方は決議案提出お願いします。

・意見書、決議案、は

市会(町会、区会)議員さんにだします。

・議員さんを探すのは友人知人の紹介がベストです。

提出は居住地以外の自治体でも大丈夫です。

複数の自治体に出すことも可能です。

どうしても紹介で議員さんが見つからなかったら

個人名ではなく会名で議員事務所にアポイトメントを取ることも可能です。

又、この意見書は基本的に何らかの会が出すものですので、どの会にも所属しておられない方はホームページお問い合わせより相談承ります。

・議員さんに出すときは

「今こうして意見書を国会へ出す自治体が増えています」

と一声かけてください。

議会によっては全会一致で可決と多数決可決の自治体があります。

・どこの自治体が多数決か全員一致かは市議(区議)事務局に問い合わせたら分かります。

・提出する文面の例はもっていますのでご連絡下さい

文は、専門用語などは不必要です

手紙形式にしても議会に出すときはその議員さんが議会提出用に

直してくれますので心配いりません。

持参不要な自治体もあります。

・どの議員さんが賛成なのか反対なのかわからない時は市議(区議)

事務局を通じて全議員にアンケートをお願いすると分かります。

その時も個人名ではなく会名でアンケートをお願いします。

宜しくお願いします。y